夢の話し(1)

たまに夢をみます。

明日、早起きしなきゃいいけないとか、寝つきが悪いときとか。

 

今日見た夢が小説のようで面白かったので、小説風に記しておきます。

 

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私は、ある日街で知り合った男と意気投合し、よく会うようになった。

会うのはいつもファミレス。注文するのはいつもハンバーグ定食。

けれどなぜか会うのが楽しくて、ついつい長居してしまうのだった。高校生みたいに。

 

しかし、なぜか今日はキャンプ場に行くことになった。山のふもとにある、なだらかな丘の有名なキャンプ場。高校生っぽさの延長か、私たちはキャンプ場の外れに秘密基地をつくった。薪や道具が置いてある小屋に横穴を掘っただけのものだ。そして、その日はそのまま泊まることにした。

 

私はどうやらこの男に恋心を抱いているらしい。しかし、この男は何やら違う焦り方をしている。遠くで聞こえるパトカーのサイレン。怯える男。

 

どうしてそんなに怯えているのかを問うと、「俺たちは警察に追われている」

理由は分からない。しかし私たちは追われているらしい。理由も分からないのに、私も心拍数が上がり、だんだん恐怖で震え始めた。その日は、二人で震えながら暗闇とサイレンの音を乗り切った。

 

次の日。どうやら今日は、このキャンプ場でイベントがあるらしい。人がたくさん集まってきた。私たちがいる秘密基地のほうにもわらわらと人がやってくる。

 

「やばい、見つかる」

 

そう思ったときには遅かった。人間とは思えない悲鳴。

私たちはどうすることもできず、ただそこにうずくまっていた。

 

少し時間がたつとパトカーのサイレンが聞こえてきた。こっちにやってくる。ズカズカと迷いのない足音。

 

「逃げようよ」

 

私がそう言っても動じず、ただじっとしている男。私は何か悪い予感しかしない。警察に捕まる以上の悪い予感―

 

その悪い予感は直後に的中した。警察が小屋に足を踏み入れたと同時に男は裏の窓を突き破り、一目散に逃げ出した。私も男の後を追って逃げた。男は振り返らない。自分だけ逃げるつもりだったのか。

 

私は私が男に対して抱いていた恋愛感情を裏切られたような気がして、その点について勝手に悲しみを覚えた。

 

丘を転げ落ちたり、這いつくばりながら逃げる。

 

しかし、追手は5人ほど。私はあっさりと捕まってしまった。警察に髪をつかまれる。警察だからっていくらなんでも乱暴すぎはしないか。私が抵抗していると、気づけば男は立ち止まりこちらを見ていた。不思議な笑みを含みながら。

 

どうして?

 

そう思った瞬間、私の首は切り落されたのだった。

 

男は街へ戻り、以前の暮らしを始めた。どうやらまたファミレスで女と長話をしているようだ。

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最近、星新一のショートストーリーを読んでいたためか、不可思議な内容だった。

夢の中だから物語はしっかり組み立てられているわけもなく、オチも何もない。少々後味は悪いが、状況だけでなく感情も起きたあとに覚えていたのが興味深い。

 

これをもとに小説なども書けるかもしれない。気が向いたら。

 

映画「怒り」田代編から考える、「信じる」ということ

先日、Amazonプライムビデオで「怒り」を見ました。

 

「怒り」は吉田修一原作で、映画の監督は李相日です。(Google調べ)

吉田修一は「横道世之介」なども書かれているそうですね。映画を見たことはあるけれど、なんかいいなあという印象を持ったことしか覚えていません。すみません。

 

 

しかし「怒り」、これは強烈。

見た後に考え続けられる映画ってなかなかありません。

 

物語は住宅街の夫婦が殺害されるところから始まります。現場には「怒」の血文字が残され、これはただならぬ事件の予感…!そして素性の知れない、犯人の特徴によく似た3人の男の周囲でそれぞれ物語が進行しはじめます。

 

千葉では風俗店で働いていた愛子(宮崎あおい)と田代(松山ケンイチ)の交際、結婚の決意。そこに愛子の父(渡辺謙)も含めた人間模様が描かれます。今回はここに焦点を当てて考えていきます。

 

田代は愛子が家出していた間に漁港にやってきました。無愛想ですが真面目で、仕事っぷりは愛子の父にも信頼されていました。愛子が田代に弁当をつくるようになってから交際が始まり、アパートを借りて同棲し始めます。

 

やがて田代は愛子を完全に信頼し、過去に親が借金をしたまま亡くなり、今は自分がヤクザに追われていること、そのため偽名を使って暮らしていることなど、全てを話します。しかし、愛子の父はニュースで見かけた殺人事件の犯人が田代に似ていると思い、疑いの目をかけます。

 

愛子の父は、愛子のことを「普通じゃない」と何度か口にしています。私は、田代の過去を調べること(殺人事件の犯人ではないかと疑うこと)で愛子が「幸せになれない」理由を探しているようにも感じられました。愛子の父は、田代を「疑う」と同時に愛子を「信じない」という態度をとっています。田代が行方をくらましたとき、愛子の父は少し安心したのではないかと思います。「やっぱりそうだよな」と。

 

一方で愛子自身も自分が「普通ではない」ということを認識し、自分が「普通に幸せにはなれない」と思っています。田代が殺人事件の犯人であるかもしれないという話を聞いたとき、愛子は最初「信じる」という態度をとっていましたが、最後まで貫くことはできず、警察に通報してしまいます。これは「自分は幸せになれない人間である」という答え合わせをしたかのようにも感じられました。

 

しかし検察の結果は白。田代は殺人事件の犯人ではありませんでした。

 

「信じる」という行為は、相手に依存するものではなく、自分自身のみによって行われます。変な話ですが、相手が殺人を犯した現場を見たとしても、自分が「信じる」という態度をとれば、それは成り立つ行為なのです。「信じる」という行為は他人に邪魔されず、どこまでも貫くことができます。

 

愛子と愛子の父は、「幸せになれないのではないか」という疑いの結果、田代を信じることができなかったのではないでしょうか。「信じる」「信じない」はやはり自分の感情の中の出来事で判断されている…。そう思います。

 

言葉

絶賛就活中。最近はほぼ毎日面接をうけています。

 

面接を受けながら思ったことは「言葉で伝えることは難しい」ということです。

 

一時期「エモい」という言葉に対して、さまざまな議論が交わされたことを思い出しました。「エモい」は、「他の言葉で置き換えることが難しい、感情の動き」を表現する言葉です。主に若者の間で「エモい」という言葉が多用されるようになり、表現力の低下などが危惧されました。それに対して「エモい」は、古語の「あはれ」と似た意味であり、なんら問題ないという意見もありました。

 

私もよく「エモい」という言葉を使うことがあります。しかし「エモい」だけでなく、汎用性の高い言葉をよく使ってしまう傾向にありました。

 

そして迎えた就職活動。

面接で自分の話す内容が、自分で話していて薄っぺらく聞こえてしまうんです。伝えたいこと100のうち、40くらいしか伝えられていない感覚。頭の中にイメージはあるのに、それをうまく言語化できない。

 

ESや履歴書、面接を重ねて、ようやく100のうち60くらいは伝えられるようになってきました。あくまで主観ですが。

 

表現の方法はたくさんあります。音楽、絵、写真…

けれど誰にでも一番伝えやすい方法は「言葉」だなと。

 

私は自分の想いや考えを人に伝えるのが苦手なほうだと思います。お風呂に入っているときや1日の終わりに、その日人と話した内容を振り返ることよくあります。あの言葉は相手を傷つけたかもしれない。この表現は少し誤解を生んだだろう。けれど、実際に話すときに気をつけるのはなかなか難しいです。

 

「言葉を使う訓練をしなくてはいけない。」

そう思い、自分の考えや思いをアウトプットしていく場をつくることにしました。

 

言葉に対して向き合うには文章を書くことが一番適していると思うので、(今度こそは)続けられるように頑張りたいです。